教育虐待とは?
『教育虐待』という言葉をご存じでしょうか?
日本語はとても便利で、漢字からおおよその語意が想像できます、教育を通して虐待してしまう事かな?と。
この言葉は2011年に武蔵野大学教授の武田信子さんが使用した言葉です。
意味としては『親の子に対する行き過ぎた教育やしつけのこと』とあります。
教育の一環としてのしつけという名目で、子どもに勉強や習い事、作法に至るまでの広範囲に渡り、『強制』『叱責』『虐げ』『暴言』が向けられることです。
教育虐待とされるケースのほとんどの場合、親側の“子どものために良かれと思って”がベースになっています。 食事の作法やお勉強なども将来子どもが社会に出た時に役に立つように、恥ずかしい思いをしないように・・・という親の愛情でもあります。
教育虐待は他の身体的・心理的・性的虐待やネグレクトなどとは大きく違い、子どもを陥れたい、傷付けたいという動機からではないですが、相手をコントロールしたいという点においては同じなのではないでしょうか・・・。
傍から見たら、清潔な服を着て、健康的で、塾や学校へも行き、お稽古もしている恵まれた親子の姿でも、子どもが幸せな学びと感じられず、強制的もしくは仕方なくやらされているのであれば教育虐待の入り口に立っていると言えるでしょう。
本当にこの問題は線引きが難しく、子どもの捉え方や性格にもよる所でもあります。
例えば、伝統を重んじる芸能一家に生まれたらそれは一般的には代々継承されていくものでしょうし、代々医者家系であれば自ずと周囲からも当たり前のように医学部への道が用意されている・・・などもあるでしょう。
また、好奇心旺盛な子どもは何でも『〇〇ちゃんもやっているから自分もやってみたい!』と、挑戦してみたがる傾向にありますよね。受験やお稽古なども子どもがお友達の影響を受けて、とよく聞きます。
数回の体験を通して、子どもの前向きな姿勢を応援するつもりで入会するも、やる気がないように見え、終いには行きたくないと言い出す。
親としては、自分からやると言い始めたのだから、やめさせるのは教育的に良い事なのか、ここで辞めさせたらすぐに諦める習慣をつけてしまうのではないか?と、必ず悩むはずです。
教育虐待か否かの線引きは
『子ども目線で考えられるか?』
『自分だったらどう感じるのか?』
と、考えられるかに尽きるのではないでしょうか?
大人でも全部ばっちり揃えて趣味を始めたけれど、やはり性に合わなかったから辞めてしまったなどという事が往々にしてありますよね…。
大人は自費で完結していますが、支払い能力のない子どもは当然ながら、親の承諾なしには始められなければ、辞められもしないのです。
休みたい時も、大人の様に自分で決められません。
親の目線で判断し、休ませるかどうするか?辞めさせるのかどうするか?という親所有のふるいにかけられるのです。
子どもの言うままに従うのもわがまま心を助長してしまいます。
決断はそう簡単ではありません・・・。
続けさせたいのであれば、子どもときちんと話し合い、楽しく続ける仕組みや動機づけを試みるなど、親側の努力も必要です。
加熱する中学受験熱・・・、サッカークラブ、野球チームなど・・・受験もスポーツも一種の競争です。競争には勝敗、合否が付き物です。
負けた時、選出されなかった時、不合格だった時の子どもへの対応がとっても大切です!
・子どもが嫌な気持ちになっていないか?
・子どもが苦しんでいないか?
・親に失望されるのを恐れて続けているのでは?
・怒られるから辞めたいと言い出せないのでは?
子どもの気持ちをいつも考えてあげられるのが理想ですね。
子育てには、“ 迷い ”が付き物です。
あなたが悩み、迷っているのは、真剣に向き合っている証拠です。
時に利害関係のない第三者の目線で客観的に見つめることがとても有効です。